和服を着けるようになってからようやく気がついた桜の景色と楽しみ方

桜の時分の辺り、家から近い川沿いの行き来へウォーキングに出かけた。
土手は裏手が長い長い桜並木となっていて、ゆったりぶらりとお花見を遊べるのである。
あたしはその日和服をまとっていた。薄めの橙色の些か風変わりな格子上の着物に、灰色事にちっちゃな赤い水玉が散りばめられた帯。
着物素人として初めての桜の時期ということもあって、浮足立つ思いの丈で花を見上げていた。
未だに八分け前咲きも満開よりもそれくらいの方があたしは好きで、盛りの桜は遠くから見つめたいのです。

こういう散歩道は桜を隔ててワイドの公園と横あっていて、小ぶりのアスレチックやジャングルジムなど子ども用のオモチャが置かれた事柄という、ボールを使う作用ができる様な空き地ものの空席に分かれていて、次は本格的な花見にうってつけ。
本格的な花見は桜の下に青のビニール文書を敷いてお弁当なんかも運び込み、花によって団子になりかねないようなあの花見についてある。
桜並木を大方巡ってから何気なく公園に立ち寄ったうち、ふいに足元から呼び止められた。
お姉さん、一緒にお花見をしませんかって、見ると数名の妙齢の旦那陣がその本格的なお花見の通り掛け。
ここで一度は固辞するのが邦人の仁徳は。但し次ぐ第二所見は物珍しいお酒もあるし、着物の女性がいると地点が華やぐからねえというおだてでころりと参らなければ、何ともむかつく。
遠慮なく堂々とお仲間に入れて頂くことになり、あたしは花も着物も団子も博士だが、お酒も好きなのである。
そうして私の知らない時や立場のことを語って得る人たちには、博士という情熱を超えて単純に売り込める。
戦中の主旨戦後の主旨、そしてもう年季のガイドに載ってしまいそうなイベントのチャット。
古くお寺でお坊さんになろうという苦行したことのあるやつ、齢70としてユニバーシティに通い直していらっしゃるやつ、ふっと前月50年来の仕事場を勤めあげてから夫人に惚れ直しておるやつ。
短歌をたしなんである奴といった並び、弱い知性をしぼって私も睿智の限界に挑んだものの、見た目して風流って呼べなくも無いかもしれないが、右から升酒が辞めることはない。
あまつさえご自身で漬けたという梅酒をお土産に受領して、空が茜に染まる頃にお開きって相なった。

飛び入りのお花見の間、ふとした折りに零されていたのは昔の奥さんの着物風貌をなつかしむ呟き。
着物でいくようになって、様々な奴からお声がけを頂くようになった。
ただちやほやされているだけだと肝に銘じながらもどうしてもありがたいものは相応しい。
未知のやつとの縁故に着物が一役買ってくれていることが素晴らしい。
そうして旨いお酒と少なめな桜ってそれらを包み込むいくつものおしゃべり。
これほど豊かな花見を最近の春まであたしは知らなかった。

はたして次の桜の瞬間は何が生まれるのかなと着物をたたみながら鬼と共に笑ってしまう。冬になったら食べたいランキング1位はこれですよね?